中森明夫氏による映画「桐島、部活やめるってよ」のレビューが素晴らしい件【ややネタバレ】

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話題の映画、「桐島、部活やめるってよ」。公開するやいなや賛否両論の嵐だが、アナーキー・イン・ザ・JPで三島由紀夫賞の候補になった批評家、中森明夫氏が映画鑑賞後、Twitterで感想を投稿。それが素晴らしい内容だったのでまとめてみました。少しネタバレあるので注意してください。

予備知識

成績優秀でスポーツ万能、校内のエース的存在の桐島が部活をやめるという噂が流れ、生徒はざわめき立つ。そんな時、黒縁メガネをかけた、教室では影の薄いオタク男子が嬉々として動き始める。映画部の彼らは、桐島のニュースで騒ぐ生徒たちを映像に収めようとするが…。それぞれの登場人物からの視点から、学校の事件を見つめ、思春期の少年少女らが持つ心の闇を描いている。出演は、神木隆之介、橋本愛、大後寿々花ほか。一癖ある役で実力を発揮する神木隆之介に注目。監督は、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の吉田大八。

中森明夫とは?

本名:柴原 安伴(しばはら やすとも)
生年月日:1960年1月1日
50歳にして、初の純文学作品『アナーキー・イン・ザ・JP』を発表。第24回三島由紀夫賞候補に挙がった。

中森明夫氏のレビューが素晴らしい件

『桐島、部活やめるってよ』を観た。とてもいい映画だった。が、終了後、若い観客らが「何これ?」「さっぱりわけわかんねーし」とか言ってて…あ〜と思った。少々ヤボだけど、この映画について説明…いや、批評したくなった。ちなみに原作は読んでませんが。以下、ネタバレを含みます(続く

桐島2)なぜ批評するのがヤボなのか? それはこの映画が批評だからだ。批評を批評するヤボさ、ためらいを感じる。何の批評か? つまり青春映画や学園ドラマに対する批評だ。青春映画を観に行ったのに、その批評を見せられたら、そりゃ「わけわかんねー」でしょう(続く

桐島3)この映画は今や学園ドラマが成立しないと言っている。なぜなら教室の生徒がバラバラだから。体育会系、リア充女子、文化部系…みんなバラバラ。関係が交わらず、統一的な主題が成り立たない。同じ場面の反復がバラバラなそれぞれの視点から描かれる)続く

桐島4)映画館で遭遇した涼也(神木隆之介)がかすみ(橋本愛)にタランティーノの名前を出す。同一場面の多視点の反復はタランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』…と観客にウィンクしてる。涼也が「今、僕らが出てるこの映画もタランティーノの反復でしょ?」とか言いそうw)続く

桐島5)この映画をスクールカーストの語で評するのは間違っている。体育会系男子やリア充女子はイケていて映画部のオタ男子はサエない。が、上位下位のカーストの視点で統一的に把握することは不可能だ。同作品をスクールカーストもの、オタ男子を下位と笑う観客を、この映画は笑い返す)続く

桐島6)題名の桐島はバレー部のキャプテンでモテ男、青春映画の頂点のような男子。が、彼は姿を現さない。恋人の女子は桐島を待ち続ける。ゴドー待ち、ベケットの『ゴドーを待ちながら』だ。ゴドーとはゴッド=神のこと。人々が待ち続ける神=絶対者は現れない、それが現代演劇だ)続く

桐島7)桐島とは何者か? キリシマとはキリストではないか? キリストは人間の姿で現れた神で、一度は死に、復活して昇天する。『桐島、部活やめるってよ』とは聖書における『キリスト、人間やめるってよ』に等しく、この主題設定だけで原作者は相当のタマだとわかる)続き

桐島8)青春映画の神、桐島は姿を現さない。桐島が現れたらこの作品は青春映画として成立する。体育会系男子やリア充女子は桐島が現れるのを待望する。桐島が現れなくては自分たちは青春映画の登場人物たりえない。その存在を否定されるからだ)続く

桐島9)映画部のオタ男子らは桐島を待っていない。青春映画の脚本を拒否してゾンビ映画を撮っている。彼らはもはや青春映画は成立不可能であり、自分たちがゾンビであることを知っているのだ。体育会系男子やリア充女子らに「おまえらは無自覚なゾンビじゃないか!」と)続き

桐島10)モテ男・宏樹とオタ男・涼也、交わらない二人が8ミリカメラを向け合う。互いが別々の映画に出ている。「それでも俺たちは生きていかなければならない」涼也はゾンビ映画のセリフを言う。不覚にも私は涙を流した。そう、たしかにもう青春映画は死滅した。それでも俺たちは…)続く

桐島11)この映画がヒットしないこと、若い観客に理解されないことは青春映画にとっていいことだ。今後も相変わらずベタな青春映画が作り続けられるだろう。青春映画の死などなかったような顔をして。青春映画の主人公たちは笑う。もはや自分たちがゾンビであることも気づかないままに)続く

桐島12)オタ男子の涼也は映画『桐島』を観ないだろう。彼は『アナザー』を観る。彼のふられた橋本愛が学園ゾンビ映画に主演している。『桐島』はいるはずの男子が現れない話だが、『アナザー』は現れてる女子がいないことになってる物語だ。どちらの映画でも橋本愛は美しい!)終わり

「橋本愛は美しい」という〆なので橋本愛の画像集めてみた(こじつけ)

中森明夫氏のレビューに感動する人たち

中森明夫さんのツイートで桐島すごい観たくなった。自分みたいなスクールカースト最下層民向けの映画のような気がする

中森明夫さんの「桐島」の批評すごく面白いな。

中森明夫さんの桐島評が素晴らしい。

中森明夫氏が桐島〜について語ってるのであとで読もう。しかし桐島〜には人に語らせたくなる何かがあるっぽいな。

中森明夫さんの桐島ツイートにぞくぞくが止まらない・・・

中森明夫さんの「桐島、部活やめるってよ」のツイートに同意。わかる人にはわかる、わからない人にはわからない、青春時代をどう過ごしたか、ある種”踏み絵”みたいな映画。

物議を醸す中森明夫氏の持論「桐島キリスト説」

『桐島、部活やめるってよ』のキリシマ=キリスト説が物議を醸してますが、なんでこの映画では金曜日が繰り返されるのか? キリストが亡くなったのは何曜日だったのか? 考えればわかると思いますけどね~→ow.ly/1OrnoL

世界の歴史上もっとも読まれた本は? …聖書だ。が、聖書はキリストが書いたんじゃない。周囲の使徒がキリストの肖像を書いた。同様に朝井リョウの小説『桐島、部活やめるってよ』でも周囲の男子女子らが語る。キリシマ=キリストは語らない→ow.ly/1OrnoL

今回、映画を観たおかげで朝井リョウの小説『桐島、部活やめるってよ』を読み、その素晴らしさに圧倒された。この小説はベストセラーになり、たくさんの書評が出た。が、もし私以前に、キリシマ=キリスト説を誰ひとり提示してなかったら、現在の日本の文芸批評は絶望的だね!?

映画『桐島、部活やめるってよ』とベケットの『ゴドーを待ちながら』、どちらもタイトルの桐島とゴドーが最後まで出てこない。それを類推しないほうがおかしい。ヤボな指摘だが、誰も言わないから私が言うしかない。そういう批評です→ow.ly/1OrnoL

物議

@a_i_jp キリストですね。数日後に復活するし、ラッパ鳴り響くし、弟子たちバレー部、桐島消えて得をし後悔もする風助はユダか、そして現実じゃ復活なんてできずゾンビにもなれない僕ら。リプライすみません。

桐島がキリストだという評を見て脱力。なんでもぶち上げればいいというものではない。うんざりした

中森明夫の「桐島、部活やめるってよ」評の的確ぶりに脱帽。キリストを匂わせるのは薄々感じていたけど、あそこまでとは……

「桐島」キリスト説、もし映画の中に演劇部が出てきて受難劇とかゴドーの練習してるなら分からんでもないけど、もっと普通の高校生の話に引き寄せてかまわないと思う。もちろんこの話が「神の不在」という構造を持ってるのは確かだけど。

ゴドー=GOD 桐島=キリスト なのね キリスト全く気付かず

さらに三島由紀夫との関係性も!?

映画『桐島、部活やめるってよ』の冒頭は11月25日で、三島由紀夫の命日だとのご指摘をいただいた。えっ! するとキリシマ=キリストだけじゃなく、キリスト+ミシマ=キリシマなわけ!? …そんなあ、できすぎだな〜w

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